2008年07月20日
沖縄の平和主義者とはバカかキチガイか
前号の続き↓
http://itokazukeiko.ti-da.net/e2259865.html
例えば領土をめぐる国際紛争において緊張が高まり、当事国が戦争の勃発の際に
対処できるように部隊を基地から出して国境地域に展開したとする。
これらの軍事活動に対して部隊の輸送路に人の壁を作って平和を訴えたとする。
これは活動の主体が平和主義の精神に基づいたとしても、無意識的であれ
片方の当事国の軍事活動のみを妨害するという利敵行為の側面があるため
敵国の戦争行為を援助することになる。
この例は完全主義的な平和主義の実践であるが、このような活動は「平和」活動
ではなく「戦争」活動という。
敵国の潜入工作員の扇動によってこのようなことは
過去の歴史の中でよく行われてきた行為である。
自分達の行動が「平和活動」になっているか、敵国の利敵行為である
「戦争活動」になっているかは普通に考えても分かりそうなものだが
沖縄の平和活動家はそれが分らない、理解出来ていない。
理解出来たとしても、その活動を止めない。
平和主義の実践そのものが成功したとしてもそれが必ずしも人類の幸福が
達成されるとは限らず、したがって平和主義が結果として
善悪の判断において普遍的な規準として善いとは限らない。
また平和主義の実践である平和運動や非暴力運動は相手側の「間違い」を正すために
自らが苦痛を受けることを相手または傍観者に見せ付けることで成立しているが
これは意図においては特定の思想を強制する行為であり
人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない
規範的な問題がある。
だが、沖縄の平和主義者というか沖縄県民の多くは倫理観が欠如しているので
この問題を問題視したこともないし、一体、何が問題なのかも理解出来ない。
実際に平和主義は個人またはきわめて少人数の集団において実践可能なものであり
これを政治思想とすることの難しさにしばしば自分の価値・能力などをはっきり
知ることになる。
これは個人の善の延長上に社会全体の善が必ずしもあるわけではないことと対比できる。
沖縄の平和主義者だけでなく、沖縄県民の殆どの人が戦争の原因について深く
理解していない場合が見られる。
まあ、沖縄戦の知識しか持ち合わせていないのだから当たり前であろう。
戦争はその形態や主体によって様相が異なる複雑な政治現象であり、その原因は
近代的な国家間の国益に関わる問題だけでなく、国内的な紛争である内戦においては
宗教や民族、歴史などが重層的に組み合わさる。
これらの政治的、経済的、社会的、民族的、歴史的な問題についての無知が
沖縄平和主義者の楽観主義的な啓蒙思想の源泉のひとつとなっているし
その楽観主義が、他国の意思の介入による平和活動ではない戦争活動化の
源泉にもなっている。
沖縄の平和主義者は、あらゆる武力を全て放棄すべきだとする立場いわゆる
絶対平和主義だが、この考えは歴史的にすでに万人に受け入れられた価値ではない。
まず、これを自覚してもらいたい。
これが自覚出来ないから、その一方的な沖縄の意思、意見は、本土と人達から
バカ、キチガイ扱いされ相手にされないのである
同じ話の土俵にあがれないのである。
沖縄の唱える、絶対平和主義は宇宙万物の普遍の真理ではない。
なぜならばその平和の価値が歴史的にすでに万人に受け入れられた価値だと
認められていないからである。
http://itokazukeiko.ti-da.net/e2259865.html
例えば領土をめぐる国際紛争において緊張が高まり、当事国が戦争の勃発の際に
対処できるように部隊を基地から出して国境地域に展開したとする。
これらの軍事活動に対して部隊の輸送路に人の壁を作って平和を訴えたとする。
これは活動の主体が平和主義の精神に基づいたとしても、無意識的であれ
片方の当事国の軍事活動のみを妨害するという利敵行為の側面があるため
敵国の戦争行為を援助することになる。
この例は完全主義的な平和主義の実践であるが、このような活動は「平和」活動
ではなく「戦争」活動という。
敵国の潜入工作員の扇動によってこのようなことは
過去の歴史の中でよく行われてきた行為である。
自分達の行動が「平和活動」になっているか、敵国の利敵行為である
「戦争活動」になっているかは普通に考えても分かりそうなものだが
沖縄の平和活動家はそれが分らない、理解出来ていない。
理解出来たとしても、その活動を止めない。
平和主義の実践そのものが成功したとしてもそれが必ずしも人類の幸福が
達成されるとは限らず、したがって平和主義が結果として
善悪の判断において普遍的な規準として善いとは限らない。
また平和主義の実践である平和運動や非暴力運動は相手側の「間違い」を正すために
自らが苦痛を受けることを相手または傍観者に見せ付けることで成立しているが
これは意図においては特定の思想を強制する行為であり
人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない
規範的な問題がある。
だが、沖縄の平和主義者というか沖縄県民の多くは倫理観が欠如しているので
この問題を問題視したこともないし、一体、何が問題なのかも理解出来ない。
実際に平和主義は個人またはきわめて少人数の集団において実践可能なものであり
これを政治思想とすることの難しさにしばしば自分の価値・能力などをはっきり
知ることになる。
これは個人の善の延長上に社会全体の善が必ずしもあるわけではないことと対比できる。
沖縄の平和主義者だけでなく、沖縄県民の殆どの人が戦争の原因について深く
理解していない場合が見られる。
まあ、沖縄戦の知識しか持ち合わせていないのだから当たり前であろう。
戦争はその形態や主体によって様相が異なる複雑な政治現象であり、その原因は
近代的な国家間の国益に関わる問題だけでなく、国内的な紛争である内戦においては
宗教や民族、歴史などが重層的に組み合わさる。
これらの政治的、経済的、社会的、民族的、歴史的な問題についての無知が
沖縄平和主義者の楽観主義的な啓蒙思想の源泉のひとつとなっているし
その楽観主義が、他国の意思の介入による平和活動ではない戦争活動化の
源泉にもなっている。
沖縄の平和主義者は、あらゆる武力を全て放棄すべきだとする立場いわゆる
絶対平和主義だが、この考えは歴史的にすでに万人に受け入れられた価値ではない。
まず、これを自覚してもらいたい。
これが自覚出来ないから、その一方的な沖縄の意思、意見は、本土と人達から
バカ、キチガイ扱いされ相手にされないのである
同じ話の土俵にあがれないのである。
沖縄の唱える、絶対平和主義は宇宙万物の普遍の真理ではない。
なぜならばその平和の価値が歴史的にすでに万人に受け入れられた価値だと
認められていないからである。
Posted by きゃすっち at 16:35│Comments(2)│TrackBack(0)
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http://itokazukeiko.ti-da.net/t2264014
この記事へのコメント
きゃすっちさん こんばんは
沖縄の憂鬱改め縁側です。どーぞよろしくお願いします。
「平和主義者」。う~ん、ケツの穴がこそばゆくなります。二律背反っぽくて
気持ち悪いですねー。結局彼らの脳内は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持できると信じてるからなのでしょうね。
およそまともな大人の考えではないですが。白洲次郎が占領中の米国人から聞いた「ウチの息子の考え」が前述の憲法前文なのかも知れませんね。
沖縄の憂鬱改め縁側です。どーぞよろしくお願いします。
「平和主義者」。う~ん、ケツの穴がこそばゆくなります。二律背反っぽくて
気持ち悪いですねー。結局彼らの脳内は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我らの安全と生存を保持できると信じてるからなのでしょうね。
およそまともな大人の考えではないですが。白洲次郎が占領中の米国人から聞いた「ウチの息子の考え」が前述の憲法前文なのかも知れませんね。
Posted by 縁側 at 2008年07月20日 23:03
まあまあ、私達本土左翼活動家の平和主義者、沖縄在住の
琉球新報、沖縄タイムスの平和主義者の流す情報にそのまま
のっかっているのも、賛同しているのも沖縄県民の姿ですから。
私が言うのもなんだが、私たちの宣伝は沖縄県民の心を捉えて
離しませんよ^^;
やれジュゴンの住んでる海を守れ!ちゅら海守れ!といった
キャッチフレーズの呪縛からはけして沖縄県民は逃れられないでしょう。
まあ、無理だな、私たちの本土左翼活動家のコマでありつづけるでしょう。
琉球新報、沖縄タイムスの平和主義者の流す情報にそのまま
のっかっているのも、賛同しているのも沖縄県民の姿ですから。
私が言うのもなんだが、私たちの宣伝は沖縄県民の心を捉えて
離しませんよ^^;
やれジュゴンの住んでる海を守れ!ちゅら海守れ!といった
キャッチフレーズの呪縛からはけして沖縄県民は逃れられないでしょう。
まあ、無理だな、私たちの本土左翼活動家のコマでありつづけるでしょう。
Posted by きゃすっち
at 2008年07月21日 00:23
at 2008年07月21日 00:23

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